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ヒーローをやめたら、うつのケアと子育てに希望が見えました

うつ病の妻、この春に小学3年、2年になる年子の娘と暮らす、みやもんと申します。産後クライシスをいかに夫婦で乗り越え、子育てしてきたのかを綴っていきます。

「あ、春、見つけた」
今朝、学童保育に向かう途中、娘が桜の木を指さして言いました。“CMみたいにいいこと言うやん”と心でツッコミつつ、短い散歩を楽しみました。

花を愛でる余裕があるかないか、そこで自分の心の状態を確認できることを最近、自覚しました。

4月、子どもたちは小学校の学年が一つ上がり、クラスも新しくなります。それに伴い、さまざま準備や用意するべきことが発生します。

子どもが生まれてから気づいたのですが、役所や保育園、療育、小学校、学童保育など、定期的に書類の記入と提出を求められます

インフルエンザなどの予防接種の問診票の記入も含めると、まあまあな頻度で、しかも結構細かく記入しなければいけない……。この書類の記入が自分は苦手なのですが、幸い、こうした作業は妻が得意ですので、わが家では率先してやってくれていて助かっています。

次女が新しいクラスになじめるかどうかも不安な点の一つ。1年生の間も毎日、学校まで親が付き添っていたので、少し気にしています。

妻はというと、うつ症状は落ち着いているのですが、季節の変わり目は要注意です。悪化したり、ひどい偏頭痛が起きたりすることがあるからです。今年は3月末から偏頭痛が5日間続き、立っているのもつらく、なるべく横になっていました。

私はひどい花粉症に悩まされています(へクション)。

少しドタバタしていますが、
どうやら今年は家族みんなで花見が楽しめそうです。

そう、これまでに比べると比較的、心に余裕があるのです。

なぜなんでしょうか。「よく分からない」というのが正直なところですが、一つ言えるのは私自身が「ヒーロー」をやめたからです。ここでいうヒーローとは、理想を掲げて自己犠牲の精神で生きようとする人のことです。

「俺がいるから安心してくれ、大丈夫だ」なんて威勢のいいことはあまり言わなくなりました。だって、大丈夫じゃないことばかりが起きて、到底一人では太刀打ちできないんですもん。

「ゆっくり休んでいていいよ」と妻に言ったものの、私は心の余裕がなくなると、いとも簡単に「はあ、一人はつらいなあ」と相手に聞こえるようにグチをこぼしてしまう。当然、ケンカになる。そうしたことをいったい、何百回繰り返したことでしょう。言ったら相手が怒り、体調が悪化すると分かっているのにやめられない。ケンカした後に後悔する。“これ、無限にやるの?”と、我ながらあきれ果てていました。

「そろそろ子どもたちをお風呂に入れた方がいいんじゃない?」

妻が良かれと思って枕元から知らせてくれることがあるのですが、こちらが別の用事で追われている時に言われると、どうしてもムカっとしてしまうんです。「分かっているなら、あなたがやってくれよ」と。でも、それはかなわない。やり場のない感情をおさえるのに必死でした。

怒りが湧いてから、そのエネルギーをコントロールするのは、自分には難しいことでした。

その場をいったん離れ、トイレにこもるもおさまらない。頭に冷水をぶっかけてもだめ。ですので、怒りが湧く前、つまり予防に力を入れた方が得策ではないかと考えました。

そこで、自分に余裕を持たせるために、「自分時間」をつくるようにしました。

子どもと公園などで思いっきり遊ぶのもいいのですが、あえて早起きして、読書でも、映画でも、散歩でもいい、自分一人だけで楽しめる時間を定期的に設けました。

妻が大変だから自分も苦しまなければいけないと思っていましたが、「あなたはあなたの人生を生きていいし、幸せになっていい」と、ある医者に言われ、少しホッとしたというか、新鮮な気持ちになりました(共倒れしても誰も得をしませんよね)。

そして、理想も捨てました。正確にいうと、自分勝手な理想を抱くのをやめました。理想を抱くのは素敵なことだと思うのですが、理想と現実のギャップで悶え苦しんで、周囲に、特に家族に嫌な思いをさせてしまうことが多かったからです。

「普通はもっとこうすべきなのに、なんでできないんだ!」と叱ってしまう。これじゃあ、ヒーローでもなんでもなく、むしろ相手を苦しめる悪役に成り下がってしまっているじゃないか、と。ですから、「その理想、本当に子どもたちや妻が望んでいることなのか?」と冷静に自問自答したんです。

それと、私は心のどこかで、妻を「病に苦しめられている不幸でかわいそうな人」だと思い込んでいたんじゃないかと反省しました。

よく考えれば分かることですが、健康な人でも不幸な人はいますし、病であっても幸福を感じながら生きている人もいます。しかし、ケア生活が続いたせいか、私は精神疾患を忌み嫌っていました。一刻も早く、消し去りたい、関わりたくないと心で叫んでいました。

体調が悪くて診察に行けない妻に代って、自分が心療内科に薬だけもらいに行った時のことです。

待合室にいる間、「あくまで妻の代わりに来たのであって、私は元気であること」をアピールするように姿勢よく腰掛け、振る舞っている自分にハッとしました。“ここにいる人たちと一緒にされては困る”という、恐ろしいほど差別的な自分がそこにいたのです。とても恥ずかしく、自分を嫌いになりそうでした。こんなパートナーじゃ、妻も元気になるわけがないと猛省したのを覚えています。

「治りませんように」という、思わず首をかしげたくなるようなタイトルの本があります。精神障害のある人たちの地域活動拠点の様子と、その運営者の考え方がまとめられたもので、そこには“人間には悩む力があるため、当事者の苦労を奪ってはいけない”と書いてありました。

治さない医者は、ただ治さないのではない。治せないのともちがう。治すときの方向を、治すということの意味を問うているのである。患者に対して、あなたはどうしたいのか、どう生きたいのかと問い、治すということはただ病気の症状を消そうとするのではなく、もっとずっと深いところで捉えなければならないことなのではないかと、問うているのである。

斉藤道雄『治りませんように――べてるの家のいま』(みすず書房)P 27

病者の意思を尊重することと、生きる力を引き出すことの大切さを教えられました。

「大事なことと向きあってるぞ」という感覚をもたらす苦労、「いいテーマと向きあってる」という「自信みたいなもの」を与えてくれる苦労が、この世界とのつながりをもたらしてくれる。それによって自分は他者と、人間と、ひいては地球の裏側の苦労とも、リンクすることができるという感覚。それが苦労の哲学を形づくっている。

苦労は、この世界とつながるための窓であり、通路であり、方法であるということだった。それもただ残酷な環境でつらい思いをすればいいというのではなく、「人間としての苦労」をすること。すなわち人間は人間であるからこそ苦労するのであり、その苦労を経て人間になるのだということ、苦労は自らを高めるためというような自己完結的なものではなく、またたんなる人生訓にとどまるものでもなく、自らを他者に開くために行われるのだという認識が、そこにはあるのではないだろうか。

同P236

困っていることに対して、もちろん家族としては支えますが、誤って苦労する権利まで奪わないように気をつけようと心に決めました。子育ても一緒、なんでも過保護はよくありませんよね。振り返ると、過剰に関わって、疲れ果てて、グチるなんて、本末転倒だと思いました。

バランスはとり続けるから、バランスなわけで、もうこれでOK、問題なしなんてことはないのですが、年々、いい塩梅で生活できるようになってきたと感じます。

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