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娘が生まれて気づいたこと。離婚した父の知られざる「親心」

こんにちは、ぽんたです。
2歳の娘・むーちゃん(仮名)と夫と暮らす主婦です。楽しいけどうまいこといかない、そんな育児の日常を書いています。

子育てしていると、ふと、
親の愛ってこんなに深かったんだな
と感慨にふけることがあります。
きっと、「子どもから見ていた世界」と「親から見る世界」は全然違うのでしょう。

生まれてからどれほどの愛情の中で育ってきたか、どんな想像力を持ってしても、親の気持ちの全ては分からないんだろうと思います。

育てる側になって悩んで初めて気づいた、「親心」に今少しずつ触れている気がします。

今回は、ちょっとアバンギャルドな父との思い出のお話。

私にとって父は、昔からなんというか「面白いけどどこか謎めいた存在」でした。

小学6年生の時に両親が離婚したのですが、離婚する前から土日はあまり家にいなかったし、
物心ついてからは、いっしょに出かけた記憶は少なかったように思います。

たまーに2人で出かけた時には、基本手をつながない人で、歩くスピードも速いので、たいてい私が迷子になったり。

映画を観にいっても、私はアニメが見たいけど父の希望で恋愛映画を見させられたり。

買い物に行ってもメンズ服の店を連れ回され、クタクタになったり。

離婚後、私が大人になってからもたまに会いましたが、「何食べたい?」と聞かれたので「和食かな」と答えたけど着いたらイタリアンだったり。

毎回どこに連れて行かれるのか分からないので、ある時は、着いたら新宿二丁目の「ニューハーフショー」だったり。
(これは私も存分に楽しませて頂きました)

そう、私の父はわが道を行く、

典型的な九州男児。

(九州の皆さま、偏見だったらごめんなさい)

幼心に、親ってもうちょい子どもに目線を合わせるものでは?と思ったりしました。

でも私は、 そんなマイウェイでブレない父が好きした。

たとえ、待ち合わせでヒョウ柄のTシャツに、ヒョウ柄の短パンに、ヒョウ柄のリュックで登場したとしても。
(通行人も二度見)

いつもニューエラの59fiftyのキャップを目深にかぶり、ピアスにネックレス、サングラスで、よく職務質問にあっている一見怪しいおじさんだとしても。
(お気づきかもしれませんが、父のファッションは奇抜です)


だから、離婚して父のキャップや荷物が全部なくなった時は悲しかったし、
父が寂しい顔ひとつせずに出て行ったこともなんとも言えない気持ちでした。

その後、私も大人になり仕事がどんどん忙しくなるにつれ、あまり会えなくなっていきました。

転機は、2021年、娘の誕生でした。

予定日が近くなり、父からLINEが。
「もうすぐだね、頑張って」

続けて、
「ぽんたが産まれた時のことを思い出しました。
難産で産まれた直後からICUに入り、ガラス越しにしか会えませんでした。

でも1週間後に無事に対面できた時、
とても安心してうれしかったことを思い出しました」

…そうだったんだ。
父から、そんな当時の心境が聞けるなんて、正直意外でした。

そんなにうれしかったんだ。
そりゃそうか、親だもの。

そんなふうに父が私の誕生を待ちわびてくれていたのも、親としては当たり前の心境だろうけれど、
私にとっては少し新鮮でした。

何にも動じなさそうな父の、新米パパとしての横顔は初めて見た気がしたからです。


そしてわが家に待望の娘が誕生。
娘の写真を送ったりして、頻繁にやりとりするようになりました。

すると父から、
「むーちゃんは夫君似だけど、ぽんたの小さい頃にもどことなく似てるよ」
というLINEとともに、
私の小さい頃の写真がたくさん送られてきました。

ん?よくこんな写真持ってたな…と、
よく見ると、私の幼いころのアルバムの写真を携帯で1枚1枚撮影したものでした。

…そうか。
離婚して家を出る時に、もうこのアルバムを手にすることは二度とないだろうから、
私の幼いころの写真を見返しては、1枚ずつ写真を撮っていったんだ。

そんなことしていたなんて。

ねえお父さん。
25年前、どんな気持ちでこの写真を撮っていったの。

さすがに涙が出ました。

愛されていたことに気づくのに、あまりにも時間がかかってしまった気がします。


思い返せば、小学校に入ると急激にレパートリーが増える文房具のひとつひとつ、定規や消しゴムにコンパス、分度器、
おまけに24色もある色鉛筆の一本一本すべてに、きちょうめんな文字で名前を書いてくれていたのは父でした。

小学校のころいっしょに遊びに行った思い出は少なくても、私がいつも持ち歩いていた物のいたるところから、
父がかげで育児に費やしていた時間や愛情をうかがい知ることができました。

娘が生まれなかったら、
きっと父とこんな会話もしなかっただろうし、もしかしたら父の隠れた「親心」に私は一生気づけなかったかもしれない。
娘がつないでくれた父との絆に、感謝しています。


そして娘がすくすく成長していくにつれ、 父の初孫への愛情はめちゃくちゃ分かりやすく爆発しています。

娘が生まれる前までは数カ月に一度のやり取りだったのに、今では数日LINEしないだけで
「最新のむーちゃん♡の動画を送ってください」
と催促が来ます。

そして父はほぼ毎月、むーちゃんに会いに来てくれるようになりました。
父は来るたびに、娘の今の月齢に最適の知育玩具を調べ抜き、プレゼントしてくれます。

そして孫を喜ばせるために、ありとあらゆる小道具を準備してきます。
(マジック道具やお面など)
父のリュックはもはや四次元ポケットです。

かつてのマイウェイ九州男児がいまや見る影もなく、孫に尽くしぬく

「孫溺愛じーじ」の爆誕

です。

私が子どものころに、表現がこれくらい分かりやすければ遠回りをせずにすんだものを…
と思ったりしますが、孫という存在は格別なんでしょう。


これからも子育てのなかで悩みにぶつかるほどに、いろんな親心に気づかされるのだと思います。

イライラしたり、疲れた時は、もらった愛情を心の引き出しからそっと取り出してみれば、
わが子に優しく微笑むことくらいはできそうです。

こうして時を超えて、子どもの心に残る、
そんな愛情を注いでいける親になれたら。


そんなことを考えながら、今日もついつい
「コルァーーー!!」
と鬼の形相で娘を追いかけまわすぽんたなのでした。

(おしまい)

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