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生活に行きづまり、私はオムツをかぶりました

うつ病の妻、小学2年、1年の年子の娘と暮らす、みやもんと申します。産後クライシスをいかに夫婦で乗り越え、子育てしてきたのかを綴っていきます。

宿題が嫌いな次女については以前書いたのですが、最近、宿題でうれしいことがありました。
※以前書いた話はここから↓↓

国語の教科書を音読するという宿題があります。頻度はほぼ毎日。「やりたくない」と頑なに拒否して進まないことが多かったのですが、先日は娘から「一緒に読もう」と“お誘い”を受けたのです。

”事件だ! 何が起きたんだ”と、私はとても驚きました。

そういえば宿題前に、何かに没頭していたなと次女の手元をのぞき込むと、なんと裏紙で一から作ったオリジナル教科書があったのです! ページをめくると、最近音読している作品の題名と本文が書き写されていました。

「なんで作ろうと思ったの?」と食い気味で私は尋ねましたが、次女からは「よく分かんない」と、何とも素っ気ない回答でした。

ただ、出来上がりに満足したのは間違いなく、“オリジナル教科書で音読したい”欲が爆発して「一緒に読もう」と声をかけてくれたのでした。

次女は工作好き。「好き」と宿題が掛け合わさった瞬間です

「これはね、あそびしゅくだいだよ」と次女は言いました。初めて聞いたワードですが、なるほど良いなと私はうなずきました。

これまでも楽しみながら宿題ができるように、夫婦で手を変え品を変え試してきましたが、「一から教科書を作ってみる」という発想には至りませんでした。さすが子どもです、発想力の豊かさ半端ないぜ。

◾️オムツ30000枚に思うこと

「遊び」を英語にすると「play」ですが、日本語の「遊び」には、「余白」とか「ゆとり」「すきま」といった意味もあります。”ハンドルの遊び”とかって言いますよね。

遊び(余白)があるから、自分で手を加えて創造することができる。楽しいし、愛着も湧くし、「もっとああしよう、こうしよう」と考え続けることができる。

自らの生活を振り返って、逆に遊びがないと、苦しくなることが多々ありました。特に、子育てとか、病気の家族のケアとかは。生きていくために欠かせないのですが、こう毎日同じことを繰り返していると、気が滅入ってしまうのです。

何かのCMで聞きましたが、子どもはオムツを卒業するまでに、平均1万枚使用するそうです。わが家は年子の娘がいて、なおかつオムツの卒業が遅い方なので、3万枚は超えているんじゃないかと予想します。

「今日○枚交換したたんだからさ、今度はそっちがやってよ」と、“オムツマウント”を取って、妻になすりつけようとしたこともあります。

“オムツ交換って、一体いつまで続くんだぁぁあ”と嘆き、私は気がおかしくなったのでしょう、手に持っていた新品のオムツを自らの頭に深くかぶせたこともあります。子どもは喜び、本人たちもかぶって「オムツ仮面ごっこ」なるものをしたなあ。そうだ、これも遊びに入りますよね(違うか)。

ある日、ドストエフスキーの『死の家の記録』を読んでいて、なるほどと思ったことがありました。この本は、シベリア流刑された著者の4年間の獄中体験をつづったものです。

ちなみに、妻のうつ病、ワンオペ育児を経験するようになってから、”絶望の分析”に長けているドストエフスキーの作品を読むことが増えました。学生時代では全く信じられないくらい、自己啓発本のようにスラスラと読み続けられるのです(理解できているかどうかは別です)。苦しい時、自分にとっては「幸福とは何か」よりも「絶望とは何か」の方が身近で考え込みたくなるテーマでした。

『死の家の記録』に話を戻します。
監獄で囚人たちは、歌を歌ったり、たばこをふかしたり、酒まで飲んだりすることもあったらしく、ドストエフスキーは拍子抜けしたそうです。日々の労働も、決して肉体的に耐えられないようなものではありませんでした。

ただ、獄中生活を通して気づきます。強制されて行う労働がいかに精神的にこたえるかということを。

そして、「もっとも凶悪な犯人でもふるえあがり、それを聞いただけでぞっとするような、おそろしい刑罰を加えて、二度と立ち上がれぬようにおしつぶしてやろうと思ったら、労働を徹底的に無益で無意味なものにしさえすれば、それでよい」と指摘します。

監獄の苦役が囚人にとって興味がなく、退屈なものであるとしても、内容そのものは、しごととして、益も意味もある。囚人は煉瓦を焼いたり、畑を耕したり、壁を塗ったり、家を建てたりさせられているが、この労働には意味と目的がある。苦役の囚人が、どうかするとそのしごとに熱中して、もっとうまく、もっとぐあいよく、もっとりっぱに仕上げようなどという気をさえ起す。

ところが、たとえば、水を一つの桶から他の桶へ移し、またそれをもとの桶にもどすとか、砂を搗(つ)くとか、土の山を一つの場所から他の場所へ移し、またそれをもとへもどすとかいう作業をさせたら、囚人はおそらく、四、五日もしたら首をくくってしまうか、あるいはたとい死んでも、こんな屈辱と苦しみからのがれたほうがましだなどと考えて、やけになって悪事の限りを尽くすかもしれない。

P40 新潮文庫、工藤精一郎訳

獄中生活とは次元は異なりますが、
意味と目的を見失いかけている時、拷問的な労働を強いられる囚人の感覚に、私も近づいているのではないかとハッとする時があります。

でも、「私は家族を守っている、子どもの命を育んでいる」と、誰も否定しようもないような意味と目的を、納得せずに無理やり当てはめても、かえって自分の首を絞めることになりかねません。

ヒーローを気取って痛い目を見たことが度々ありました。そのあたりの気づきと改善については次回以降、書いていきたいと思います。

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