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親として“優等生”になる必要はない。詩「祝婚歌」のようなゆるやかさでいこう!

悠々です。もはや子育て期は“懐かしい”と感じる世代になってしまいました。私は、聖教新聞の教育・子育て欄の担当記者を15年以上経験しました。ちょうどその期間が、まさに私自身の子育て期と重なっていたのです。ここでは、そんな子育て期を振り返りながら、いま思うことを時代の変化も交えつつ、つづらせてもらいます。ビビッドなエピソードは、現在進行形で書いてくれている、すなっち、はっしーたちに譲るとして、私は子育て期間に自分が読んだ本を軸にして書いてみたいと思います。

能登半島地震のニュース映像を見ながら、数年前に訪れた輪島朝市通りの人々の顔が思い出されました。胸が詰まり、重苦しい気持ちでいた中、地震当日に被災した病院で生まれた赤ちゃんの姿も映し出されました。どんな苦境でも一歩を踏み出していくしかない。そんな思いを抱きながら、一日も早い復興を祈るばかりです。
 
わが子の誕生、そして日々成長していく姿。でも、かわいい、かわいいだけではすまない日々がやってきます。よく「ほめて育てること」が大事だと言われましたが、これが案外、難しいのです。ほめるには、タイミングも重要で、やたらめったらほめていたのでは、“おだてる”との差がなくなり、子どもの自意識が芽生えるにしたがって、そうした親の姿勢を敏感に見破ってきます。
 
周囲からも、「自己肯定感を育むにはほめることが大事」「いや叱ることも時には必要だ」と真っ向から対立する言い分が聞こえてきました。日々、目の前の忙しさに流されていると、「いったいどうすればいいの!」となってしまいがちですよね。
 
いま思えば、これはバランスの問題なのでしょう。むしろ、どちらかに偏ることがないようにすることが大事なのだと思います。その時々の社会の傾向性で、叱ることが多すぎると「ほめること」が注目され、ほめることに寄りすぎると「叱ること」が見直される――。そんな感じもしました。
 
子育てに関する話ではないのですが、職場での部下の育成をテーマにした本で、「示唆に富んだ話だなあ」と思った逸話がありました。それは『部下の心をしっかりつかむ ほめ上手・叱り上手になる本』(髙嶌幸広著、PHP文庫)に出てきた、車の運転を題材にした例え話です。
 
そこでは、車を円滑に運転するには、ハンドル、アクセル、ブレーキをいかに上手に操作するかが大切だとした上で、人の育成においても同じことがいえ、車のアクセルにあたるのが「ほめる」、ブレーキが「叱る」、そしてハンドルが「教える」だというのです。
 
車が前に進む(育てる)には、アクセルを踏む(ほめる)。ブレーキを踏んで(叱る)ばかりでは、なかなか前に進まない(育たない)。でもブレーキがあるから安全に運転できる。めざす目的地にたどり着くには、確かなハンドル操作(教える)が欠かせない、という訳です。
 
著者の経験では、「ほめる」が4、「叱る」が2、「教える」が4ぐらいのバランスが良い、とのこと。特に「叱る」と「教える」はペアで考え、叱ったときにこそ、きちんと教えることが重要なのだといいます。そう心がけているだけで、少しは余裕ができた気がします。
 
日常生活で余裕がなくなり、親の価値観全開で子どもに接していると、どうしても子どものダメな点、できていないと思うところに目がいき、「否定的な眼」が強くなり、叱ることが増えてしまいます。また、良いところを探しながら、親自身の心に響いたことをほめているのならいいのですが、形から入って、「とにかくほめてみよう」と始めた場合、なかなか「肯定的な眼」にはならず、同じような表面的なほめ言葉の繰り返しになりやすいものです。

この「回想録」も8回を数え、こうして振り返って書き進めていくと、どうしても“アドバイス調”の文章になってしまい、「なんか上からの目線で話しているよなあ」と、自分でも感じてしまいます。時折、自己嫌悪に陥りながら書いています。知恵を伝承することって難しいものなんですね。
 
私自身、子育て期にいろんな本を読んでいたとき、「なんかイヤだなあ」と感じていたことがありました。それは「いい子育てをしよう」と思って考え始めると、どんどん、親として“優等生”であることを求められているような気がしてきたのです。
 
そんなつもりじゃないのに……と感じながらも、自己矛盾にさいなまれていました。自分では“完璧”をめざそうとしたことはありませんでしたが、いつのまにか“こうあらねばならない”という同調圧力のような錯覚に陥っていたこともありました。
 
そこで煮詰まってくると、堂々巡りの思考になりやすく、全てにわたって「気づき」があって、「向上心」に満ちていて、楽しそうに子育てをするなんて、「自分にはとうていできない!」と、なりやすいのだと思います。
 
しかし、いま感じるのは、子育て期は特に、「肩の力」を抜いていることが大切である、ということです。かつて、赤ちゃんを初めて抱っこするとき、緊張して体が強ばって力が入っていると、かえって赤ちゃんを落としやすくなると言われたことを思い出します。その感覚と同じように、精神的にいかにリラックスして、力を抜いた自然体で子どもに向き合うか。それが、とても大事なことだと思っています。
 
その上で、自分が「そうなんだ」と思ったことを一つ一つ、自然に実践していけばいいのです。誰が見ていようが、何を言おうが、関係ありません。当たり前のことですが、子どもは「夫婦2人の子ども」です。だから「2人で協力して育てるんだ」という原点に立ち返ることを、あらためてかみしめたいですね。苦手なことを補い合うからこそパートナーへの感謝の気持ちも湧いてきます。
 
詩人の吉野弘さんの作品に「祝婚歌」という詩があります。聞いたことがある方も多いと思いますが、文字通り、結婚披露宴の祝辞に使われることが多いようです。冒頭部分だけ紹介します。

「二人が睦まじくいるためには
 愚かでいるほうがいい
 立派すぎないほうがいい
 立派すぎることは
 長持ちしないことだと気付いているほうがいい」

お祝いの歌なのに、この“脱力系”が人気の秘密なのかもしれません。気負っている人の「肩の力」を抜いてくれるのでしょう。そして、こう続きます。

「完璧をめざさないほうがいい
 完璧なんて不自然なことだと
 うそぶいているほうがいい」

『吉野弘詩集』小池昌代編・岩波文庫 P183

全34行の短い詩です。詩にある「完璧をめざさないほうがいい」は、子育てにも通じることだと、私は思っています。つらいこと、苦しいことがあったら、この詩を読み返してみてはどうでしょう。これぐらいの、「すきま感」「ゆるやかさ」を感じながら、生きていきたいものです。


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