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十月十日のハンデを克服するための胎教?

悠々です。もはや子育て期は“懐かしい”と感じる世代になってしまいました。私は、聖教新聞の教育・子育て欄の担当記者を15年以上経験しました。ちょうどその期間が、まさに私自身の子育て期と重なっていたのです。ここでは、そんな子育て期を振り返りながら、いま思うことを時代の変化も交えつつ、つづらせてもらいます。ビビッドなエピソードは、現在進行形で書いてくれている、すなっち、はっしーに譲るとして、私は子育て期間に自分が読んだ本を軸にして書いてみたいと思います。

30年ほど前、行政が行う両親学級という集まりに参加しました。いまとは事情がだいぶ違うかもしれませんが、当時は人形を使って「抱っこ」の練習をしたことなど、断片的に覚えています。そうした中で、妻が妊娠中に父親として最初に興味を持ったのは「胎教」でした。井深大(いぶか・まさる)氏が書いた『胎児から』(徳間文庫)という本を読み、ますますその奥深さに興味津々となりました。
 
「胎児がお腹の外からの情報を、大人が理解するようにすべて理解しているとまではいいませんが、しかし聞き耳をたてて感じ取っている、楽しいこと、悲しいこと、怖いこと、さまざまなことをそれなりに受けとめているのは間違いありません。つまり赤ちゃんは、従来考えられてきたような無力、無意識、無知覚な存在では決してないのです」(『胎児から――母性が決める「知」と「心」』)
 
井深氏はソニーの前身「東京通信工業」を創立し、同社を世界の「ソニー」へと育て上げた方です。そのかたわら、幼児の早期教育にも着目して「幼児開発協会」を設立。東京・港区にある愛育病院の協力を仰ぎ、さまざまな研究を重ねていました。そうした知見をもとに書かれた本が『胎児から』だったのです。
 
胎児に対しての認識を新たにした私は、あきらかにおなかの中にいる、わが子への見方が変わりました。一般に、胎児は母親のおなかの中で、いわゆる「十月十日」をかけて育っていくといわれます。その上で、私がどう思ったかというと、「そんな長い間、母親は胎児とともに生きていくんだ。子育ての経験値としては、父親は母親にかなりの差をつけられてスタートするんだなあ」と、変なアウェイ感を抱いていました。
 
話はちょっと横道にそれますが、昔から、数え年という、満年齢とは別の数え方があることを不思議に思っていましたが、実感としては、この「十月十日」も胎児はおなかの中で生きているわけで、この間を数えて、生まれたときを1歳と捉えるんだなあと、一人勝手に納得していたことも思い出しました。事実は少し違っていましたが……(実際は、その人が生まれた年の12月までを1歳とし、新年のたびに1歳を加えて数える年齢のこと)。

これは私なりの思いですが、母親に比べ、父親は子どもと言葉によるコミュニケーションが取れるようになるまで、なかなか「子育ての実感」を持ちにくいものです。そうした父親にとって、おなかの中の胎児の動きや反応が、外から見ても分かるということは、本当に貴重な経験だと、今から思えば、そんなふうに感じていたのでしょう。
 
胎児には、外からの声も聞こえていると知ったので、早速いろいろ呼びかけてみました。勝手に“胎児ネーム”もつけて、声をかけるのがとても面白かったですね。反応があるとうれしいし……。初めてコミュニケーションが取れたような感覚を味わっていたのだと思います。

ところが、この後、大変な事態が待っていました。妊娠6カ月で、妻が虫垂炎になってしまったのです。胎児が母体の手術に耐えられるか。その判断ができるまで少し待ってからの手術となりました。そのとき医師から、虫垂炎になるのが、これ以上早くても、またちょっと遅くても、手術はできなかったと言われ、何とも言えない気持ちで、ほっと胸をなでおろしたものです。
 
そんなアクシデントも乗り越え、出産も間近になりました。いろいろな経緯があったので、出産は、虫垂炎の手術をした総合病院で行うことになり、希望していた立ち会い出産はできなくなりました。その病院では当時、立ち会い出産は認められていなかったのです。
 
でも、直前の手術でおなかを切っていたにもかかわらず、帝王切開にならず自然分娩で産むことができました。

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