生後4カ月の夜泣き。一人で対応してみたら、自分も泣きました
「子どもたちは大丈夫。任せておいて」
体調を崩していた妻に、私はそう言いました。第2子出産から4カ月が経とうとしていた頃です。妻はパニック障害と産後うつで苦しんでいました。
「いったん、育児をする環境から離れた方がいいかもしれないね」。家族で話し合い、妻には九州の実家で静養してもらうことにしました。
九州に出発する日、私は、付き添いで来ていた義母と、妻を玄関で見送りました。東京のわが家は、私と、2歳の長女、そして生後4カ月の次女の3人にーー。
この時、私は正直なところ、焦っていました。
任せてと言ったはいいものの、いけるのかこれ……。触ったら壊れてしまいそうな繊細な赤ちゃんを、長女も見ながら一人で育てられるのか。自問自答を繰り返し、そして私は……開き直りました。
「でもまあ、なんとかなるっしょ!」
長女の時からそれなりに育児はしてきた自負があったからです(実際は「妻7:私3」くらいでしょうが)。
「頑張れ、自分」
最後はセルフ励ましになっていました。
しかし、です。現実はそう簡単にいきませんでした。
2歳の長女はイヤイヤ期に突入していたのです。
朝、急いでごはんを食べさせようとしても、なぜか、かぶりものがないと食べない。気に入った帽子を見つけてようやく食べ始める。これならまだいいのですが、お面をつけたがる時も。「長女よ、お面ONのままじゃ、ごはんは食べられないじゃないか! 」と何度ツッコミを入れたことか。
こんなこともありました。保育園登園の際、長女はいつものルートを嫌がり、やたら迂回したがる。次女を乗せたベビーカーもあり、いつもより何倍も時間がかかりました。
(私の顔が困り果てていたからでしょうか、登園までに何人かの通行人が優しく私たち親子に声をかけてくれました。”人間、捨てたもんじゃない”と感じた次第です)
朝は長女に手こずりましたが、本当の勝負は深夜でした。電気を消して就寝してからの次女の夜泣きです。
当たり前ですが、深夜か否かに関係なく、赤ちゃんは泣きます。
防犯ブザーが急に鳴り出したようなギャン泣きに、シンプルに驚かされました。
それでも慣れてくると、娘が泣き出す前に、私は勝手に目が覚めるように。「フンッ、フン」という、娘の、小さく細かい息遣いで、“ああ、来るぞ…”と横になりながら臨戦体制に入れるようになったのです(単に睡眠が浅くなっていただけかもしれませんが…)。
抱っこしたり、おしめを変えたり、ミルクをあげたり。こんなことを繰り返しながら、ふと思いました。
や、休まるひまがないじゃん!!!
「子どもたちは大丈夫。任せておいて」と言った1週間前が、既に遠い過去のように感じられました。
寝不足もきつかったのですが、真夜中ですし、頼ったり、愚痴ったりする相手が物理的に横にいない寂しさ、孤独感といったらありません。段々と心身ともに追い込まれていきました。
ある日、眠気まなこでミルクを作り、次女の口に運ぶも、嫌がり、大声で泣かれた際、“なんだよ、ミルクがほしいんじゃないのかよ!”と自分も大声で叫びそうになりました。瞬間ですが、殺意のようなものを感じたのも事実です。
自己嫌悪になり、涙が出ました。
数カ月前には「生まれてきてくれてありがとう」なんて言っていたくせに、ひどいなお前、と。でも、今なら分かります。ワンオペ育児が続けば、誰だって同じような気持ちになり得るということを。夜泣き対応を一人でやってみることで、児童虐待のニュースが他人事ではなくなりました。どうしてそういう事態になったのか、背景に思いを馳せるようになりました。
次女が生まれた2017年は、数えると、子どもと自分だけで過ごす日(パターン①自分と長女・次女 パターン②自分と長女 パターン③自分と次女)が100日を超えていました。
こうした経験を通して、子育てにおける「支援」の重要性を感じるようになり、私は家族だけでなく、地域や行政にも積極的に相談するようになります。
(つづく)
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