子どもの大切にしているものを一緒に大切にする
コンビニにしろ、スーパーにしろ、レジの近くには、大抵、お菓子やおもちゃが置かれています。子どもが目にした途端、「ほしい! 買って!」となるのは当然です。
「今日は買わないよ」とやさしく伝えて、納得してくれればいいのですが、わが子たちは同意してくれたことがありません。
「買う」「買わない」の押し問答の末、レジ前で癇癪を起こすという・・・。
私にとって「子どもと買い物に行く」という作業は、とてもデンジャラスで、神経をとがらせる行為です。そして、次の買い物では、同じレジには並びません。何なら、行く店を変えます。
でも、どこのお店も子どもの目線に置いているんです。お菓子やおもちゃを。これを考えた人はすごいと思います。
お店のお菓子だけでなく、道ばたの石や花、アリやダンゴムシなどの虫たち。雨が降ったあとの水たまりや木の葉の滴。私には見えていない、気づけていない、時に見て見ぬふりをするものをたくさん見つける、わが子たち。娘と息子の目を通して見える"世界"は、キラキラまぶしいものであふれているんだろうなと感じることが、しばしばあります。
そんな子どもたちを見ていると、もっと子どもの目線に立って、一緒に考えたり、悩んだりしたいとも思います。でも、これが簡単なようで、難しい。急いでいたり、イライラしたりしている時は、立ち止まることもせず、聞き流したり、すぐに「こうしたらいいんじゃない?」とか言ったりしてしまいます。
そんな私が、この夏、試みているのが、実際に「子どもの目線に立つ」ということです。
娘が「ママ~」と話しかけてきたら、立ったまま聞くのではなく、娘の目線に合うようにしゃがんで聞く。息子が寝転んで昆虫を見ていたら、一緒に寝転んで眺めてみる。こんなことをするようにしています。
子どもたちから見ると、私は巨人(167㎝)なのだと自覚したし、昆虫の臨場感も味わえました。そして、床に落ちている髪の毛やほこりにも気付きました・・・。子どもの目線に立つことで、いろんな“世界”や喜びを知ったり、新たな発見があったりするんですね。
教育者・哲学研究者である近内悠太さんは著書『利他・ケア・傷の倫理学』(晶文社)で、「ケアとは、その他者の大切にしているものを共に大切にする営為全体のことである」と定義していました。
そして、「『自分の大切にしているものよりも、その他者の大切にしているものの方を優先する』という条件が加わった時、ケアは利他に変わる」ともつづっています。
お惣菜を買ったり、ファミリーレストランに行ったりする時、自分が食べたいものより、子どもが食べられるものを選ぶ。自分が観たい番組ではなく、Eテレをつける。
自分のことより、子どものことを優先するようになった日常を振り返りながら、利他的な行動を知らず知らずのうちにしているんだと知りました。同時に、「常にはできない」とも感じます。私だって、からいものを食べたり、他の番組を観たりしたい時もありますから。
何を優先するかは、子どもと自分の心の状態にも左右されます。家族みんなが笑顔で過ごすには、いつだって子どもを優先するというより、バランスが大事なのかもしれません。
子どもの大切にしているものも、成長とともに変わります。同じ目線に立ちながら、子どもがその時その時、大切にしているものを一緒に大切にしていく。私も、自分の大切にしたいものを大切にしていく。そんな一日一日を送っていきたいです。