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ケースバイケースで絶対的な正解はない

悠々です。もはや子育て期は“懐かしい”と感じる世代になってしまいました。私は、聖教新聞の教育・子育て欄の担当記者を15年以上経験しました。ちょうどその期間が、まさに私自身の子育て期と重なっていたのです。ここでは、そんな子育て期を振り返りながら、いま思うことを時代の変化も交えつつ、つづらせてもらいます。ビビッドなエピソードは、現在進行形で書いてくれている、すなっち、はっしーたちに譲るとして、私は子育て期間に自分が読んだ本を軸にして書いてみたいと思います。

私は、石坂啓さんという漫画家が好きで、アイヌの女性を主人公にした『ハルコロ』(岩波現代文庫)という作品を巡って、インタビュー取材をしたこともあります。ハルコロというのは「いつも食べる物がある」という意味らしく、アイヌの生活や文化がとても魅力的に描かれていました。
 
その石坂さんが、ご自身の子育てエッセイをまとめた本『赤ちゃんが来た』(朝日文庫)を出版したのも、ちょうどこの頃でした。率直かつ、赤裸々な表現が心に響き、何度も読み返したものです。
 
そして、いよいよ、わが家にも「赤ちゃんが来た」のです。てんやわんやの毎日が始まりました。
 
今からだと、当時をどうしても俯瞰するようにしか思い出せないので、日々の喜怒哀楽の感情はかなり薄れています。ただ、私の子育て期間の特徴を挙げるなら、教育・子育て欄の担当記者だったこともあって、あらゆる本や雑誌に目を通していたことではないかと思っています。
 
そこには、いろいろなことが書かれており、経験談も豊富に記されていました。でも、明らかに矛盾するなあ、と感じることもありました。
 
「どっちなの?」と迷うことも多かったですね。象徴的に言えば、「ほめて育てる」と「叱れなくなった親たち」みたいな感じ。視点が変わると、結論的な表現が正反対に感じられるのです。

ある先輩に言われました。「そこが気になるなら何も読まないことだね。自分の直感を信じるしかない。もし読むんだったら、徹底して読みまくること。そしていろんなケースがあって、それぞれに柔軟に対応するしかないと割り切れるまで読むことかな」
 
要するに「子育てはケースバイケース。絶対的な正解などない」というのが、自分なりの確信でした。その都度、さまざまな情報は押さえておくにしても、その上で最終判断は自分で考えるしかないのです。
 
子どもの様子から自分で感じ取る感性も大切です。その部分をすべて外からの情報や判断にゆだねていると、親としての経験値も上がらないし、成長もなくなります。でも、この気持ちにたどり着くまでが大変なんですよね。渦中において達観することは、言葉で言う以上に難しいことです。
 
ポーランドの児童文学作家であり、小児科医でもあったヤヌシュ・コルチャックは、こんな言葉を残しています。前回紹介した『胎児から』でも触れられていました。 

「いかなる名著も、いかなる名医も、母の熟慮と精察には遠くおよばぬことを知ってほしい。みずから悩み、みずから生み出した思想、これこそが、この世でもっとも尊いことを知ってほしい」

小児科医の言葉を滋味豊かにかみしめました。彼をモデルにした「コルチャック先生」という映画(1990年、アンジェイ・ワイダ監督)も作られ、人道的な生き方を描いた作品は感動を呼びました。「子どもの権利」という概念の先駆者でもあった人です。親の育てる力。子どもの育つ力。それぞれを信じ抜いた言葉が、私たちに勇気を与えてくれました。
 
子育ての渦中で、不安なことを考え出すときりがありません。まさに“負のスパイラル”に陥ってしまいがち。でも、間違ったら仕切り直しをするしかないのです。命にかかわることは別にして、いくらでもやり直すことができます。
 
今だから言えることなのかもしれませんが、長い目で見て子育てを考えていくしかないでしょう。そう、子育ての時間軸をもっと長くしていくことが、今という時代には求められているのかもしれません。

聖教新聞の記者たちが、公式note開設の思いを語った音声配信。〝ながら聞き〟でお楽しみください ↓

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