新婚当時はやっていたけれど、今ではやらなくなった家事がある
子どもが生まれてからというもの、全ての部屋はもちろん、お風呂場など、ありとあらゆる場所におもちゃが転がっています。
LEGOの部品を踏んで、痛みにうずくまることも多々あります。
たまに気持ちが向いて片付けに取りかかるも、マイナスをゼロにするだけで精いっぱい。「きれいになった! これで家に友達を呼べる!」と言える状態ではありません。
しかも、5分後には、もう散らかっている。
なので、数年前に「片付ける」という概念を手放して、というか、今は仕方ないと割り切ることにしました。
そんな私ですが、最近、転機が訪れ、猛烈に片付けをしています(理由はまた別の機会に書かせてください)。
先日はクローゼットの整理をしました。
クローゼットの大きさに対して、かかっている服の量が明らかにおかしい状態で、ぎゅうぎゅう詰めにされている服たちは見るからにかわいそう。
それらと一緒に、夫の古びた靴下やシャツなども整理しました。
その時、「そういえば、前はよくしていたな」と、あることを思い出したのです。
■以前はしていたけれど・・・
新婚当時、私は夫の服をきちんと畳んで、きれいに整理していました。
今では全くやりません。なぜなら、余力がないし、私がやらなくても大丈夫だから。
他にも同じ理由でやらなくなった家事があります。
一つは
「夫のワイシャツ襟の汚れ落とし」
以前は、洗濯機に入れる前にワイシャツの襟の汚れを専用洗剤で落としていました。今の私は、視力が落ちたからか、見ようとしていないからか、汚れやほつれに気付きません。
夫は自分で汚れを取ったり、シワが気になる時は自分でアイロンをかけたりしています。
私にとって、怒りの火種になりやすいのが、この「洗濯にまつわるあれこれ」。
先週もワンオペの日々が続いていました。朝早く家を出て、夜遅く帰ってくる夫の洗濯物を畳んでいると、「寝に帰ってくるだけの人の洗濯物を、どうして私が洗濯して畳まなければいけないんだ。私はお手伝いさんじゃないんだ!」と怒りがこみ上げてきました。
怒りを感じるなら、夫の分だけ洗濯せずに自分でやってもらえばいいかもしれませんね。一人暮らしの時は自分でしていたわけだから、できないはずはない!
今度、夫に相談してみようと思います。
次にやらなくなったのは、
「夫の夕飯を用意する」
仕事から帰ってきて子どもたちをお迎えに行った時点で、残りの体力は、ほんのわずか。
疲れた体にむち打って、何とか子どものごはんを用意して食べさせます。
ごはん中も何かをこぼしたり、「牛乳、おかわり」など、とにかく忙しい。じっと座って食べられることがほぼありません。何回、立ったり座ったりしているんだろうと、自分でも思います。
そのせいか、私自身が「ちゃんと食べた感」も抱きにくい。さらには、子どもの残り物も「もったいない」と食べたりして、結構な量を食べてしまっている……。だから、体重が妊娠中と、さほど変わらないんでしょうね。
そんな具合なので、たまに夫が早く帰ってこられる日でも、無理して、夫の夕飯を用意しないことにしています。子どもが食べられるものと、大人が食べたいものも違いますし。
私に余力があったり気が向いたりした時は、夫の分も作ります。とても感謝されるので、それはそれでいいのかもしれません。
■愛情表現としてやっていること
こんな感じで「自分のことは自分でしよう方針」のわが家ですが、愛情表現として、私が自らやっていることもあります。
例えば、夫のためにコーヒーを入れたり、たまにビールを買ったりなど。
「この家事をしていると無心になれるし、愛情表現としても続けている」
そういうものが、それぞれあると思います。共働きの50代後半の先輩は、夫のワイシャツのアイロンがけが、まさにそれで、大好きだと言っていました。
これからも、子どもの成長とともに、やらなくなること、やり始めることなど、変化の連続だと思います。家事も育児も自分がやらなきゃと背負い込み過ぎず、その都度、夫婦と家族にとっての最適解を見つけていきたいです。