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立ち会い出産後に待っていたこと

悠々です。もはや子育て期は“懐かしい”と感じる世代になってしまいました。私は、聖教新聞の教育・子育て欄の担当記者を15年以上経験しました。ちょうどその期間が、まさに私自身の子育て期と重なっていたのです。ここでは、そんな子育て期を振り返りながら、いま思うことを時代の変化も交えつつ、つづらせてもらいます。ビビッドなエピソードは、現在進行形で書いてくれている、すなっち、はっしーたちに譲るとして、私は子育て期間に自分が読んだ本を軸にして書いてみたいと思います。

次男のときは、待望の立ち会い出産をしました。なので、産院にもよく足を運んだのだと思います。そのへんは詳しく覚えていませんが、看護師さんや助産師さんと、よく話をしましたし、顔見知りになりました。
 
産院で『ウパシクマ』(樹心社)という本を読んでいたら、看護師さんに「何の本ですか?」と聞かれました。ウパシクマとはアイヌ語で「先祖からの言い伝え」という意味だそうです。漫画『ハルコロ』を読んだつながりで、見つけた本だったように記憶しています。
 
タイトルを正確に表記すると、『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ――伝承の知恵の記録』です。青木愛子さんという方の口述をまとめた本。「まあアイヌに伝わる出産や子育てに関する伝承文化が書かれている本です」と答えると、看護師さんに驚かれました。「ずいぶんマニアックな本を読んでいますね」という感じでした。
 
当時、いわゆる「子育て本」ばかりを読んでいると、なぜか視野が狭くなる感じを抱いていました。ですから、まったく違う価値観の世界に触れてみたかったのかもしれません。分厚い本でしたが、とても面白かったことを覚えています。
 
その上で、いろんな本を読んでみても、どうしても越えられない子育ての壁を、長男の育児の中で感じていました。無力感というのでしょうか。父親がどんなに頑張っても“ママのオッパイには勝てない”という現実です。長男の育児と次男の出産というこの頃は、やはり一番大変な時期だったように思います。
 
うちの子は、二人とも“卒乳”が遅いほうでした。当時は“断乳”という言葉が普通に使われ、一定の時期を目安に強制的に授乳をやめる人もたくさんいました。乳房に怖い絵を描いたり、辛子を塗ったりする人も。親も子も、つらい体験に直面していたのだと思います。なかなか授乳がやめられない場合、そこには、きっと赤ちゃんにとって何とも言えない安心感とか、手触り感とか、そういったものがあるのではないでしょうか。
 
哺乳瓶でミルクをあげることにも、それはそれで苦労があると思います。当時は母乳とミルクで、どちらが良い、悪いといった論争のようなものもありました。私は、それにはあまり興味がありませんでした。母子の関係性やコンディションにもよりますし、何より赤ちゃんが選んだものなのだから、その方向で育てていくしかないと思っていました。
 
要するに、子育てって、どうやっても、何を選んでも、どちらもそれなりに大変なのです。だからこそ、自分の気持ちの持っていき方が、日々の生活を大きく左右します。夫婦の話し合い、会話が大事だといわれるのも、その気持ちをうまく満たしていくためなのだと思っています。

話はちょっと戻りますが、立ち会い出産です。経験できる方には、ぜひおすすめしたいと思います。いろいろ事情はあると思いますので、それを巡って夫婦で対立しないようにはしてくださいね。
 
私はいまでも、生命の誕生を巡る厳粛な気持ちを忘れられません。ものすごく簡単に言えば、出産って大変なんだなあ、と痛感したのです。たとえ、いわゆる安産だったとしても、同じような気持ちを味わったのではないかと思っています。とにかく予想もしないことが起きるのです。
 
出産後、多くの方から「うちも〇〇だったのよ……」という話を伺いました。みんな、それぞれに大変だったのだなあ、というのが正直な感想でした。普段、そんなことがあったなんて、話す機会がありませんからね。
 
最終的に次男は、生まれてくるとき、羊水をたくさん飲んでしまったようで、産後すぐに救急車が呼ばれ、長男と同じ総合病院に連れていかれました。親としては、ハラハラ、ドキドキです。幸い大事にはならず、元気に育ち始めましたが、また同じ総合病院のお世話になることに。結局、この病院に戻ってきたか――何だか、やれやれ、という感じでした。

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