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寝込む妻と、外で遊びたい娘。公園に行くのも戦いでした

うつ病の妻、小学2年、1年の年子の娘と暮らす、みやもんと申します。産後クライシスをいかに夫婦で乗り越え、子育てしてきたのかを綴っていきます。

「んじゃ、公園行ってくるね」

週末、長女は親の付き添いがなくても友達と遊びに行くことが増えました。

子どもと一緒に公園で遊ぶことがもう、当たり前の日常ではなくなってきた。ちょっと寂しい気がします。

と、感傷に浸りたくもなりますが、親としての負担は少し減ったので、これはこれでOKです。


長女が小学2年になるまでは、よく長女と次女を連れて、公園に“なんとか”行っていました。わが家では、公園に行くには越えなければならないハードルがあるのです。

休日で、妻の体調が悪い場合、わが家では、こんなやりとりが行われます(最近の妻は結構元気で、子どもを連れて自転車でスイスイ移動しています)。

娘「外で遊びたい、早くしてよ、パパ」
妻「体が重くて外にはいけない。でも、一人で留守番するのは寂しい」


外に出るべきか、うちにいるべきか。

ふと、ベランダに目を向けると、先ほど干した白Tや、青と白の水玉模様のハンカチ、子どもの靴下なんかが太陽の光を浴びながら、イソギンチャクのようにゆらゆらと揺れている。

天気はいいし、風も穏やか。こういう日は特に迷います。


うん、よし。
私は妻の説得を試みます。
「ちょこーっと近くの公園に連れて行くだけだからさ。少しの間、家で休んでてよ」。なるべく安心してもらえるように、ゆっくり言葉を選びながら話します。

それでも、「体調が激変したらどうしようという不安もあるから、出かけるのはやめてほしい」と妻に懇願され、結局、外出を見送ることもしばしば。

妻の名誉のために述べておくと、これは自分勝手でもなんでもなくて、本当に怖く感じるんだそう。何かあった時に(ほとんどは何も起きないのですが)、手の届くところに人がいない恐怖は病気になった本人にしか分からないことなのです。

とはいえ、長女、次女は「嫌だ、嫌だ」の大合唱。ありあまるエネルギーをマンションの一室にとどめておくには、なかなか骨が折れます。

お絵描きや折り紙、〇〇ごっこなど、室内遊びを一通り行うとーー子どもから「パパこれやって」とお願いされたり、「パパ、これどうやるの?」と聞かれたりします。

外で遊ぶ時よりも子どもたちの要求の頻度が高くなるので疲労は激増します。しかも、室内だと、外と違って気分転換もしにくい。片付けてあったおもちゃもフル出しで、夕方になる頃には部屋はぐちゃぐちゃです。

ここから夕飯の支度とお風呂、寝かしつけが待っているのかと思うと……うーん、泣きそうになります。

こうした日常茶飯の出来事に、いちいち嘆いてばかりはいられませんが、“いちいち嘆きたい時”もあります

娘と妻の願いを両方叶えることは無理ゲーなのでしょうか(あと、自分の体力がゼロにならないためにも)。

試行錯誤しながら、以下3つは効果がありました。

①妻が寝てから子どもを外に連れ出す 🛌

横になっている妻が寝始めてから、子どもと外で遊ぶようにしてみました。

その際、メモ用紙やLINEに、すぐ近くで遊んでいる旨をメッセージで書き残しておく。起きてから電話がかかってくる可能性があるので、スマホのマナーモードは解除してすぐに電話に出られるようにしておきます。

②   簡易テントを活用する 🏕️

少し大きめな公園に行くと、あちらこちらに簡易テントを張って過ごす人たちに出会います。個人スペースを確保しているわけですが、わが家も休憩スペースとしてテントを活用しています。

もともとは、子どもが喜ぶので外出の際に持ち歩いていたのですが、ある時から妻の役にも立ちました。「体調はあまりよくないけど、外には少し出られるかも」。妻がこう言う時はテントの出番です。テントがあれば、外出先でも横になれます(※テントがNGの公園もあるので確認は必要です)。

③   室内を遊び場にする 🏡

寒い日や雨の日は、テントは使えません。かといって、家の中でずっといると、子どもも親も飽きてしまいます。ですので、マンションの共有スペース(集会室、会議室など)を借りて、そこで遊ぶ。場合によっては、そこに娘の友達家族を呼ぶことも。

また、思い切って近くで民泊する時もありました。Airbnb(エアビーアンドビー)の民泊仲介サービスを使って、都内、もっといえば自分が住んでいる区内の一軒家に泊まったこともあります。マンションに住む娘たちにとって、階段の上り下りができる一軒家(特に3階建がお気に入り)は、アスレチックのような、秘密基地のようなワクワク感、非日常感を味わえるようです。

外に行くか、家にいるか。二者択一を迫られているようで困りましたが、別にどちらか一方を選ぶ必要はないんですね。簡単にはいかないかもしれませんが、向き合い、考え続けていけば、“家族みんながハッピーになるアイデア”は生まれるものです。

たかが公園に出かけるだけの話かもしれませんが、わが家としては、待ち受ける障害を乗り越えて、ようやく一つのダンジョンをクリアしたような達成感があります。

クリアするまでには、
「どうすりゃいいんだよ、いい加減にしろよ」と、さじを投げたくなる時もあります。

でも、「いい加減にしろ」と思ってしまうのは、
「自分の考えに合わせろよ」「世間の目を気にしろよ」と誰かの価値に押し込めてしまっていることなので、「家族のハッピー」にはつながっていないんですよね。

そのことを、パール・バック『母よ嘆くなかれ〈新訳版〉』で教えてもらいました。ノーベル文学賞作家である著者が、知的障害のある娘を育てながらつづった手記です。

「わたしの魂の力を、反抗のために使うことをやめました。わたしはそれまでのように『なぜ』と問わなくなりました。問わなくなった本当の秘密は、自分自身のことや悲しみについて考えるのをやめて、娘のことだけを考えるようになったところにあります。とは申しても、このことは、わたしが人生との闘いをやめたことを意味するのではありません。そうではなくて、これはわたしが徐々に、あるいは手さぐりで人生と調和するようになったということです。わたしが、自分を中心にものごとを考えている限り、人生は耐えられないものであったのです。そしてその中心をほんの少しでも自分自身から外すことができるようになったとき、悲しみはたとえ安易に耐えられないにしても、耐えられる可能性のあるものだということを理解できるようになったのです」

P80

私は「父よ嘆くなかれ」と勝手に改題して、苦しい時、よく読み返すようにしています。

(つづく)

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