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男の文化の未成熟という大切な視点

悠々です。もはや子育て期は“懐かしい”と感じる世代になってしまいました。私は、聖教新聞の教育・子育て欄の担当記者を15年以上経験しました。ちょうどその期間が、まさに私自身の子育て期と重なっていたのです。ここでは、そんな子育て期を振り返りながら、いま思うことを時代の変化も交えつつ、つづらせてもらいます。ビビッドなエピソードは、現在進行形で書いてくれている人たちに譲るとして、私は子育て期間に自分が読んだ本を軸にして書いてみたいと思います。

子育てと聞いて、私が真っ先に思い出し、今でも大事にしている本は鶴見俊輔著『神話的時間』(熊本子どもの本研究会)です。

まずタイトルにもなっている「神話的時間」について説明しましょう。かつて、教育欄あてに読者からこんな投稿がありました。
 
ある晴れた休日のこと。布団を干すことにしました。午後には太陽の光を浴びて、心持ちふっくらした布団を取り込みます。それを見ていた子どもが、近づいてきて、取り込んだばかりの布団の上に飛び込んできます。布団に顔を埋めて一言。「このおふとん、お日さまのにおいがする」
 
子どもは本能的に、布団が気持ちいいだろうと感じ取っていたのでしょう。そして、ふっくらとした布団の世界に入り込み、“その世界の中の言葉”を編み出すのです。まさに、このとき「神話的時間」に生きている。子育てをしていると、「子どもは“詩人”だなあ」と思うことが何度もありました。そんな言葉をノートに書き留めたことも多々あります。
 
鶴見さんは、もっと子どもが小さい頃にも同じことがあると言います。

「『歩く』『話す』『眠る』『駆ける』、そういうことが全部ものすごく愉快に感じられる状態があるらしい。ことごとく一歳の子どもにとっては新しいわけですね。それはすべて新しく愉快で心躍る体験です。それが『神話的時間』です。そのことを理解できるようになったときに、親もまた神話的時間に戻ってそれを共有する、それが重大なんです」

「神話的時間」の対語は、「近代的時間」「合理的時間」でしょうか。私たちは、仕事をしたり、大人同士で会話したり、家事の段取りを考えたり……。それらはみな、「近代的時間」「合理的時間」に生きています。それが当たり前だと思うのです。だからこそ、鶴見さんは子育て期における「神話的時間」に生きる経験の大切さを強調します。
 
親子の言葉のやりとりを記録した雑誌を、長年読み続けていた鶴見さんは、その記録者がほとんど女性の名前であることに、情けなさを表明します。そして、「こんなに面白いことを母親だけが独占して、自分の愉しみにしているとはどういうことなんでしょうか。父親はそこから外されているんです。みそっかすなんですよ。そこには今の文明の欠陥がありますね」と指摘します。
 
そのうえで、こうも言います。 

「子どもを育てることは重要とか、そういう問題ではない。子どもを育てるのはすごく愉しいことなんです。そのことから父親は外されている。そのことが問題ですね。義務の問題じゃないんです。人間が生きるうえでの重大な愉しみに関する問題です」

これは新しい視点です。ビビッときました。世間で言われている「もっと父親が子育てに参加すべき」などという話とは、まったく次元の違う話だと思ったのです。
 
多くの方がおこなっている、絵本の読み聞かせも同じことがいえるでしょう。最初は「近代的時間」に生きる気持ちのまま、「読み聞かせが大事なんだって」という感じで始めました。でも、読み出すと絵本の面白さに親自身がのめり込みます。まさに一緒に愉しんでいました。そう、どこからか「神話的時間」に切り替わっていたのです。
 
でも、子どもから「もう一回!」「もう一回!」と何度も言われるうちに、やがて自然に「近代的時間」に切り替わり、「もうおしまい!」となることも度々でしたが……。
 
鶴見さんは、最後にこう言って締めくくりました。男性が「神話的時間」に生きる機会から外されていることに対して、「外されていることが、どれほど重大な欠陥かということに気が付くところまで、男の文化は、そこまで育っていない。それは、成熟していない、ということだと思います」
 
「女性の社会進出」に対比するように、「男性の家庭進出」と言われる時代です。社会の仕組みが大きく変わろうとしている渦中で、「ジェンダー平等」が大きな課題として議論されています。形式や数字の変化とは違う、男の文化の未成熟こそ、大切な視点ではないでしょうか。

聖教新聞の記者たちが、公式note開設の思いを語った音声配信。〝ながら聞き〟でお楽しみください ↓

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