男の文化の未成熟という大切な視点
子育てと聞いて、私が真っ先に思い出し、今でも大事にしている本は鶴見俊輔著『神話的時間』(熊本子どもの本研究会)です。
まずタイトルにもなっている「神話的時間」について説明しましょう。かつて、教育欄あてに読者からこんな投稿がありました。
ある晴れた休日のこと。布団を干すことにしました。午後には太陽の光を浴びて、心持ちふっくらした布団を取り込みます。それを見ていた子どもが、近づいてきて、取り込んだばかりの布団の上に飛び込んできます。布団に顔を埋めて一言。「このおふとん、お日さまのにおいがする」
子どもは本能的に、布団が気持ちいいだろうと感じ取っていたのでしょう。そして、ふっくらとした布団の世界に入り込み、“その世界の中の言葉”を編み出すのです。まさに、このとき「神話的時間」に生きている。子育てをしていると、「子どもは“詩人”だなあ」と思うことが何度もありました。そんな言葉をノートに書き留めたことも多々あります。
鶴見さんは、もっと子どもが小さい頃にも同じことがあると言います。
「神話的時間」の対語は、「近代的時間」「合理的時間」でしょうか。私たちは、仕事をしたり、大人同士で会話したり、家事の段取りを考えたり……。それらはみな、「近代的時間」「合理的時間」に生きています。それが当たり前だと思うのです。だからこそ、鶴見さんは子育て期における「神話的時間」に生きる経験の大切さを強調します。
親子の言葉のやりとりを記録した雑誌を、長年読み続けていた鶴見さんは、その記録者がほとんど女性の名前であることに、情けなさを表明します。そして、「こんなに面白いことを母親だけが独占して、自分の愉しみにしているとはどういうことなんでしょうか。父親はそこから外されているんです。みそっかすなんですよ。そこには今の文明の欠陥がありますね」と指摘します。
そのうえで、こうも言います。
これは新しい視点です。ビビッときました。世間で言われている「もっと父親が子育てに参加すべき」などという話とは、まったく次元の違う話だと思ったのです。
多くの方がおこなっている、絵本の読み聞かせも同じことがいえるでしょう。最初は「近代的時間」に生きる気持ちのまま、「読み聞かせが大事なんだって」という感じで始めました。でも、読み出すと絵本の面白さに親自身がのめり込みます。まさに一緒に愉しんでいました。そう、どこからか「神話的時間」に切り替わっていたのです。
でも、子どもから「もう一回!」「もう一回!」と何度も言われるうちに、やがて自然に「近代的時間」に切り替わり、「もうおしまい!」となることも度々でしたが……。
鶴見さんは、最後にこう言って締めくくりました。男性が「神話的時間」に生きる機会から外されていることに対して、「外されていることが、どれほど重大な欠陥かということに気が付くところまで、男の文化は、そこまで育っていない。それは、成熟していない、ということだと思います」
「女性の社会進出」に対比するように、「男性の家庭進出」と言われる時代です。社会の仕組みが大きく変わろうとしている渦中で、「ジェンダー平等」が大きな課題として議論されています。形式や数字の変化とは違う、男の文化の未成熟こそ、大切な視点ではないでしょうか。