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【育児日記】妻からのLINEで、すべてが変わった。
スラウェシです。
前回、私は「育休」について、「育休」ではなく「育業」だったと綴りました。今回は「育休前」に〝主夫〟のような生活になった話です。参考になれば幸いです☺️
「前置胎盤かもしれない」
昨年の5月下旬、海外出張中の私のスマホが鳴りました。第二子妊娠中の妻からのLINEでした。
「パパ……出張中ごめんね。さっきの妊婦健診で『前置胎盤』かもしれないって言われちゃって」
「前置胎盤⁉︎」
聞き慣れない言葉でした。調べる時間もないまま帰国し、すぐにネットで検索。そこには、母体への危険度が高い病気だと書かれていました。
検査の結果、妻は「前置胎盤」だと分かりました。
「大出血すれば即入院」
「母体の致死率が2割を超えることもある」
医師の言葉が胸に突き刺さりました。
「トイレと食事以外は横になっていてください」とも言われ、その日から妻はほぼ寝たきり状態になりました。しかも、出産予定の病院には受け入れを断られてしまいました。
「一生、男性にはわからない不安だろうね」
転院先を探すも、どこも満床で見つからない日々が続いたのも重なり、妻の不安は限界を超えていました。
一人で抱え込んでやってみたら
私にできるのは、「大丈夫」「全部任せて」「ありがとう」と繰り返すことだけ。「主夫」になったつもりで、猛然と家事・育児に取り組みました。
幼稚園の送迎、娘の弁当作り、掃除、洗濯。最初の一週間はなんとか回せましたが、すぐに生活は苦しくなりました。
私は睡眠不足のため、通勤電車では寝過ごし、湯船では寝落ちしてしまう始末。それでも、“妊娠は命がけ。どんなことがあっても妻を受け止めるのが夫の役目だ”と自分に言い聞かせました。
「パパ、元気ないよね」
2カ月が過ぎ、私の体は限界を迎えていました。腰痛、頭痛、倦怠感、微熱、動悸、謎の肌荒れ、謎の手荒れ……。それでも5歳の娘は容赦ない。
「パパ、公園行こう!」
「パパが着替えさせて!」
「寝られないからトントンして!」
笑顔で接するが、娘は敏感に察知します。
「パパ、元気ないよね。元気のないパパは嫌い!」
痛いところを突かれました。
笑顔で受け止めるしかありませんでした。
育児は人生
そんな時、父親育児を支援する、あるNPO団体の代表と直接やりとりする機会がありました。
自分の葛藤や努力など現状に対して、彼は共感してくれ、アドバイスをくれました。
一人で抱えて頑張るには、育児・家事は大きすぎるミッションです。「周囲に分かってくれている人がいる」。そう思える環境をつくることが大事になると、今回のことを通して学びました。
「育児は仕事」。いや、それ以上に、「育児は人生」でした。
お読みいただき、ありがとうございました!
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