『星の王子さま』――子どもの気持ちを想像し、心の中で“見える化”してみる
児童文学というジャンルを超えて、世界的に読み継がれている名作といえば、多くの人が間違いなく、サン=テグジュペリの『星の王子さま』をあげるでしょう。日本では大手出版社が競うように文庫を出版していて、検索してみると、どれを選べばいいか、悩んでしまうような状況です。
読んだことがある人も多いと思いますが、冒頭にこんな一文があります。
本当にその通りで、自分も「はじめはみんな子どもだった」ことを思い返しながら、目の前の子に接していれば、もっとわが子に共感を抱けるんだろうなあ、そんな反省めいたことを子育て期には時々感じたものです。
“名言”と呼ばれるものがたくさんある本ですが、最も有名なのは次の言葉でしょう。
いちばん大切なことは目に見えない――いま私が思うのは、だからこそ、目には見えない価値を大切にしよう、そう捉え直すことです。子どもと接していると、どうしても目に見える目の前の現実がすべてになってしまいがちです。そのくせ、親というものは自分勝手な解釈が先に立ち、実は子どもの気持ちが見えていないことがたくさんあります。
ビジネスの世界などでよくいわれる言葉に、課題解決には“見える化する”ことが大事というものがあります。つまり、日頃見えていない、漠然としたものの中に、大事な解決への糸口があると考えるのです。子育ての中でも、似たようなことがあります。では、見えていないことの中から、どうすれば解決の糸口を見いだせるのでしょうか。
それには、子どもをよく観察することだと思っています。そして自分のことも見つめる必要があるでしょう。まず自分がよく抱きがちな子どもへの先入観はないか、考えてみてください。その上で、夫婦や、仲のいいママ友、パパ友と話し合ってみてもいいでしょう。自分では気づいていない口癖はないか、聞いてみてはいかがですか。鋭い指摘をされても、くれぐれも、カッとなって怒ったりしないように(笑)。中にはすでに、子どもから直接言われている人もいるかもしれませんね。
そういったものをなるべく横に置いておいて、曇りなき目で観察してみてください。それも、いわゆる“子ども目線”で考えてみましょう。別の言い方をすれば、いま目の前の子どもはどんな気持ちなんだろうか、と想像してみるのです。そういう機会を、1回、2回と増やしていけば、少しずつ親子の関係性が変わっていくのではないでしょうか。
私が心がけたことの一つに、「子どもの言い分を繰り返す」ということがあります。
例えば、まだ遊びたいと主張して、子どもが公園から帰ろうとしないとき。ここでの声のかけ方が重要です。こちらが感情的にならず、落ち着いた口調で「そうかあ。まだ遊びたいんだね」と言います。そのあと繰り出される子どもからの言い分も、「そうかあ」と認め、粘り強く、基本的にはそのまま繰り返すのです。
皮肉交じりの言い方ではなく、心から共感している感じを前面に出してみましょう。そして、タイミングを見計らい、「じゃあ、また今度、遊ぼうね」と言ってみます。最初のときとは、子どもの気持ちが、だいぶ変わっているはずです。
幼児期の子どもは、理屈では動いていないので、理屈で気持ちを変えようとしても、なかなかうまくいきません。そのとき、そのときの感情が動機になっていることが多いと思います。その感情を「親がちゃんと受け取ってくれている」、そう子どもが感じることが大切なのでしょう。言い分を繰り返すことは、思っている以上に役立つと思いますよ。
すっかり忘れていましたが、自分が子育て期に書いていたノートを見返すと、こんな経験が書かれていました。テレビを見ている子どもに「一緒にお風呂に入る?」と聞いたとき、きっぱりと「入らない!」と言われました。それで1人で先に入ったのですが、風呂から上がってみると「いっしょに入りたかった~」と言って大泣きしているのです。
子どもが「入らない!」と言ったときは、テレビに夢中で、それゆえの結論だったのでしょう。でも、テレビが終わってしまえば、急に気持ちが変わるのは当然のことです。そんな気持ちの変化を想像しながら話しかけます。
「そうかあ。さっきはテレビに夢中だったけど、テレビが終わったら、急にパパとお風呂に入りたくなっちゃったんだね」
そう語りかけると、「うん」と言い、大泣きが、べそかきに落ち着きました。「そうかあ、そうだよね」とゆっくりと繰り返すうちに、泣きやんできたので、最後に「ほんとうはパパと一緒に入りたかったんだね。ありがとう」と。これで、子どもの気持ちも落ち着きました。
こうした成功例には、それ以前に数々の失敗例があるのは当然です(笑)。とにかく感情的にならず、楽しく知恵を絞ってみましょう。そういう、こちらの気持ちがあるだけで、心に余裕が生まれるので、きっと悪循環を脱し、好循環になっていくと思いますよ。